3/4:全うしたその先に待つのは何か。
万物には始まる瞬間と終わる瞬間がある。
「人間は致死率100%である。」ボクの母はよくこの言葉を使う。
当たり前と言えば当たり前だが、誰一人今この瞬間に生命活動を終えるとは思っていないわけで。100%だというのに不思議だ。
そもそも「死」の経験談を主観で話す人間は誰もいない。だからこそ想像しづらいのである。「死」への知識がないのだ。
ボクは知識は誰かから教えてもらうことから始まると思っている。それは人にしても書籍にしても同じだ。自発的に0から知識を得る人はいない。(得た知識を応用して新たな知識を生み出す才能に長けている人はいる)
ボク等がネタにする「死」はフィクションの「死」なのであって誰もリアルの「死」を言っているわけではない。不可能なのだ。0の知識をネタにできる程ボクらは賢くない。出来るとしたらそれこそ応用して知識を作る才能がある者たちである。
だからボクらの生きているこのセカイは「死」に一番近くにいながら遠い存在。例えば「同じクラスにいるモデルの子」みたいなもんだ。生きてるセカイが違いすぎて、認知は出来るが理解ができない。そんな感じ。
人はいつか死ぬ。理解しようとも無意識に拒んでしまう。でも人はいつか死んでしまう。
そうじゃなきゃ地球上に人が増えすぎてしまうから当たり前。
ところで、ボクは音楽が好きだ。煙草もカッコいいと思うし、男は寡黙であり優しくあるべきだと思う。絵を描けるほどの想像力を持つ人物には心底尊敬するし自分も表現者でありたい。こだわりは捨てたくないし常に自分を持っていたいとも思う。
この全ては祖父からもらった知識だ。これを応用し発展させ、自分なりの答えを導き出すのがボクの使命でもある。
以上